症例報告

vol.17

永遠の生命を伝えることで絆が回復し、
精神状態の改善をみた1症例

E訪問看護ステーション  K.M氏

【はじめに】

当訪問看護ステーションでは、終末期の患者さんの訪問看護を依頼されることがしばしばある。しかし、ほとんどの患者さんは、自らの老いや病を受納できず、余命を限られたその短い期間に、混乱のまま死を迎える方が多い。このような患者さんを看取るたびに、TL人間学における人間観-「人間は『永遠の生命』であり、病や老いは意味がある呼びかけとして捉え、自らの人生のテーマを精いっぱい生きる存在」とのまなざしに立ったとき、人間は、「生」の充実感を持ち、たとえ「死」を迎える時にあたっても、事態を受納し、安らぐことができる、と筆者は感じている。そのため、この「永遠の生命」というまなざしを患者さんに抱いていただくことを願い、看護に臨んでいる。
  今回、終末期ではないが、様々な困難を抱えながらも、身体状況が安定し、比較的長い予後が予測される患者さんとの出会いがあった。この患者さんの死への準備として、関わる看護師の「困」を整え、新たな原則をつくり、永遠の生命に基づく人間観を伝えたことで、良好な結果が得られたので報告する。

【事例】

Aさん80歳女性、鬱病、胃潰瘍、便秘症。
老人ホームに入所中。ご主人とは20年前に死別、以後うつ病を発症し、精神科病院への入院歴あり。娘さんが二人いらっしゃるが、面倒を見切れないとのことで、10年前に現在の老人ホームへ入所。しかし、老人ホームの職員とのトラブルも多く、施設側はAさんの移動・退去計画を立てていた。
  そのような中で、当訪問看護ステーションに排便のコントロールと不安感緩和のための訪問看護の依頼を受けた。

【経過1】

平成18年6月より訪問看護を開始した。訪問当初、Aさんは排便へのこだわりが強く、浣腸後排便したにもかかわらず、排便したことが感じられず、「出ていない!」と疑い、便器から便を取り出して見せないと、納得しない状況であった。また、訪問時に身体状況を尋ねるとAさんは「なんでそんなことを聞くの!」と怒りをあらわにし、会話もできず、筆者を叩くこともあった。
  このようなAさんに対して、筆者は、退いてしまいたい気持ちで「歳をとるとこうなるのか、うつ病だから仕方がない」「かわいそうに、歳は取りたくない」「歳をとってよいことは少ない」「認知症にうつ病、私には何もできない」「家族は何をしているのだろう。子どもが親の世話をするのは当然」と暗く重い気持ちになっていた。
  しかし、筆者はTL人間学を学ぶ中で、「歳をとったからこそわかることがある」「Aさんが元気でいつまでも外出することができたらいいな」と願う気持ちが引き出され、また、「Aさんがここでの生活を持続できることは、家族の幸せである」と受けとめられるようになった。
  さらに、Aさんの不安な気持ちや孤独感を緩和し、お互いの絆を深めるために、「私はAさんのお身体をよくするために来ているんです」と何度も同じ言葉のフレーズを繰り返すことを他のスタッフと共に計画し実行した。

【経過2】

上記のように関わりを転換する中で、訪問開始5カ月後頃から徐々に会話が成立するようになってきた。
  そこで「歳をとってよかった」「この人生でよかった」と思ってもらえるよう、「歳をとらなければ感じられないことがある。歳をとったからこそわかることがある」と、話すフレーズを変えて繰り返しお伝えした。すると徐々にではあったが、排便へのこだわりが少なくなり、浣腸の回数も減り、室内の便臭も消えていった。
  以前は老人ホームの職員に注意されると、市役所に行き、虐待にあっていると訴え、その度に調査が入るという状況であったが、その職員との関わりにも改善が見られた。また、もっといろいろなことを勉強したいと文化センターに株の講義を聴きに行ったり、民謡教室に行くなどライフスタイルにも変化が出てきた。
  他人への関心が現れ、喫茶店で人間ウオッチングをして楽しみ、草花にも関心を開き「楽しく生きなきゃ損」がAさんのスローガンへと変化した。
  このような変化の中で、Aさんと筆者の関係は、死生観の意見交換までできるようになり、臨死体験をした方の話をしながら、「永遠の生命」についても触れることができるようになった。
  徐々にAさんは、笑顔で素直に発言するようになり、老人ホームの職員も「どうなっちゃたんだろうね?」と驚くほどの変化が見られるようになった。他の施設への移動計画も消えたとのことであった。最近Aさんを訪問するようになった同僚は、Aさんのことを「貴婦人みたいな人だね」と言うようになるほど、Aさんに変化が訪れた。

症例17

 

症例17

 

【考察】

Aさんに対して、TL人間学の人間観である「永遠の生命」を伝えてゆくプロセスを振り返ると、まず最初に、介護者や看護者と杵が切れていたAさんとの信頼関係の構築があった。そして信頼関係が形成されてゆく過程で、Aさんは徐々に人生を振り返られ、「老いには意味がある」と受納してゆかれた。そして周囲の方々との杵を回復され、多くの事柄に積極的な関心を示され、「楽しく生きなきゃ損」とおっしゃるまでに充実した時間を過ごされるようになった。
  この関わりの過程を思い起こしたとき、以前、医療者のセミナーで、高橋佳子先生が提唱された「生命力を湧現する」ための「3つの杵の回復」を基とした関わりの大切さを今更ながらに刻む思いであった。とりわけ、訪問開始から5カ月間は、「人と人」との杵の回復、5カ月後からは「人と人生」との杵の回復、1年後からは、「人と大いなる存在」との杵の回復へと導かれていたようにも感じられた。
  それだけに、Aさんが元々持っていた生命力を湧出させるための「縁」として、医療者がどのような人間観をもって関わるかが重要であると思われた。すでに述べたように医療者の「困」の転換とともに、高橋佳子先生が提唱された「生命力を湧現する」ための「3つの絆の回復」というまなざしは、今後の訪問看護の関わりの原則として考えられるのではないだろうか。

 

【まとめ】

(1)TL人間学における人間観 - 人問は「永遠の生命」であり、病や老いは意味がある「呼びかけ」として捉え、自らの人生のテーマを精いっぱい生きる存在。このまなざしに立ったとき、人間は「生」の充実感を持ち、たとえ「死」を迎えるにあたっても、事態を受納し、安らぐことができる。
(2)看護師の思いと関わり(因)は、看護に必ず影響を与え、患者の回復にも影響を与えていることが確認できた。